昔、江波山下は冬場は海苔の養殖場であり、夏の浜辺は海水浴客で賑わいました。遠浅では、皆さん貝掘りに夢中で、蛤や、浅蜊を採っていました。
来次郎は江波山下で採った浅蜊を卵とじに、穴子を白焼きにし、牡蠣を焼き牡蠣にしてお出ししたそうです。当時では珍しい料理を次々に考案して提供したので、次第に評判になり、遠くからも大勢のお客様が来られたようです。
戦後すぐ再建して、地元江波の牡蠣を使った素朴な牡蠣料理や、今日皆様がご存知の和風牡蠣料理を出していました。おさん狐うどんも評判になりました。
庵・山来を欧風牡蠣料理店としてリニューアルしてシェ・ヤマライになりました。 オイスター・ヴァリエもこの時登場しました。
2007年6月のオリーブの会(広島フランス料理クラブ)のシェフ達による「饗宴レストラン」のイベントでシェ・ヤマライのシェフとして正式に就任。10年前に広島の調理師学校を卒業後、ヤマライのスタッフに!
すでに4〜5年前より調理場の責任者として山口シェフを補佐。今回、山口シェフの強い要望を受け名実ともにシェフとなりました。
「前・山口シェフは20才台前半からヤマライの責任者として”粉骨砕身”文字通り力の限りヤマライを守り育ててきました。前・山口シェフと比べられるとまだ力不足とは自覚していますが、幸い、1才年下で同僚に調理師学校の後輩で気心の知れた石井君も居ますし、前・山口シェフもいつも調理場にいらっしゃるので心強く思います。
ヤマライの歴史と伝統を守り続け、独自の料理の世界を作り、多くのお客様の支持を頂けるよう頑張りますので、よろしくお願いします。」
私のプロフィールを簡単に紹介させて頂きます。京都生まれの広島育ちなのですが、高校2年生の時、千葉県に引越しました。千葉の高校に在学中にレストランサービス業に進路をと決め、ホテルに就職後、サービスの実践に努めましたが、広島への郷愁忘れ難く、思い切って広島に戻ってきました。当初は、市内のホテルで働きましたが、しだいに自分のサービススタイルが確立されるうちに街場のレストランでもっとお客様との触れ合いのあるサービスをと考えるようになった頃、先輩からヤマライに行ってみたらとの紹介を受け、ヤマライの扉をたたいたということです。今から、16年前のことです。
ヤマライで10年間充実した時間を送りましたが、「もっと大きな仕事をしないか。」と全くヤマライとは関わりのない人に引っ張られ、かなり強引にしかも現スタッフと決別するようにヤマライを離れました。間もなく、この決断が私の本意とは違うことに気付いた時、すでに遅く、いろいろな意味での葛藤がありました。そんな折、私の心中を察したシェフが会いに来てくれ、「自分のやりたい事ができるところが、心穏やかに過ごせる場所、そこで、思いっ切り頑張るのが1番。」と言われ、全て不問にし、ヤマライに帰って来ることになったのです。スタッフは、ヤマライを去った当時のまま、皆何も言わず普通に迎えてくれたのですが、彼らについて行くのがやっとでした。
近頃、やっと私の中で、全てが良い回転へと進みつつある気がしてこれからが私のヤマライでのサービスの第2章の本番だと思います。多くのお客様がいろいろと声をかけてくださいました。お客様もいつもと変わらずいつもと変わりない日常がとり戻せています。
今後は、後継者の育成もしつつ、ヤマライが長く愛されるよう私自身のサービスの集大成へと歩みを続けていきたいと考えています。
「3年ぶりにヤマライのマネージャーとして活動の場が作れたことは、皆にとって良かったと思います。私を始め、ヤマライのスタッフは
すでにベテランが多くなりました。これからは『人は味なり、味は人なり。』の言葉通り、味わい深い店となるよう努めてまいります。
その先頭に立ち、店の表の顔として向井マネージャーが広く皆様に愛されることと思います。」
N.山口より